映像の斬新さばかりが取り上げられている「マトリックス」ですが、ストーリーにはあまり触れられていませんね。
「なぜ気づかない」というコピーが、この映画をうまく表現しているので、観る前の情報としてはそれで十分かもしれませんが。
設定は複雑なのですが、難解な映画ではありません。イメージの積み重ね方と展開の手際のよさには感心してしまいます。
ところで、僕も仕事でネットワークについての概念を何度も説明してきた経験があるけど、ネットを知らない人にいくら説明しても、自らの経験則から理解できない部分がありすぎて、うまくいったためしがありません。
制作総指揮/脚本/監督のラリー&アンディー・ウォシャウスキーが、この複雑なシナプシスを、ワーナー・ブラザースの重役達にどんなプレゼン方法で説明したか、伝授してもらいたいものです。

「マトリックス」に散りばめられたアイデアや設定は、決して目新しいものではありません。
コンピュータの支配する未来社会のイメージは、SF小説の巨匠・光瀬龍の世界をマンガ化した「百億の昼と千億の夜」「アンドロメダ・ストーリーズ」などに通じるものがありますし、キアヌ・リーブスがかつて主演したウィリアム・ギブソン原作の「JM」に通じるものもあります。
また表現方法としても、日本のアニメーションから大きな影響を受けたと言うウォシャウスキー兄弟の作る映像は、アニメ的な大胆な構図やアクションで物理的なカメラ・アングルの制約をとっぱらい、ひたすらクールな映像です。最近のアニメで観たかもしれないイメージではあっても、実写でやっていることに驚かされます。

うまいのは、生命感を欠きがちなデジタル処理を、生身の肉体の魅力を増幅するカタチで使っていることですね。どんなにハラハラドキドキな映像でも、どうせ役者は安全なブルーバックの前で動いて合成させてんでしょ?どうせCGなんでしょ?という醒めた印象しか残らない映像が多い昨今、ネオ、モーフィアス、トリニティーらのアクションは、あくまでアクションそのものが見せ場であって、デジタル処理そのものをこれみよがしに見せるんじゃないのがいい!
たしかに残像の残し方や時間の圧縮など、いかにもデジタル処理というイメージも見物なんだけど、どこか肉体とリンクした意識拡張系の脳内イメージになっているんだよね。
だから、長い足を高く蹴り上げるキアヌ・リーブスはさらにカッコいいし、銃口をカチッと決めるキャリー=アン・モスもめっちゃカッコいい。
香港映画のワイヤー・ワークスやカンフーの動きを取り入れたアクションは、ハリウッド特有のストーリーボード通りに編集で作っていくアクションとは違って、荒唐無稽なんだけど生々しさがあります。連続した動きの流れはダンスみたいだしね。ジャッキー・チェンの酔拳はHIPHOPダンスのネタにもなってるし、カンフーって舞踊的なビジュアル・アイテムなんですよね。
銃を撃ちまくるアクションは、香港映画「男たちの挽歌」シリーズやペキンパー映画のよう。スローモーションを効果的に使い、弾倉が雨のように降ってくるところなんか思い切りアドレナリンを増幅させます。

バーチャル・ワールドを自由に行き来する主人公たち >>