「ファイトクラブ」という映画のアイデア、スタイル、アイテムには、たまらない同時代感覚を感じた。それは父親の世代が描いた僕らではなく、中学生が知ったかぶって評している僕らでもなく、まさしく自分が所属する世代の人間が同じ世代に向けて作った隠語のような感触があふれていた。
監督のデビッド・フィンチャーは、僕の2歳年上。ブラッド・ピットは、僕より2ヶ月早い生まれだ。彼らが原作の<同時代性>に惚れて、ハリウッド製の大スターが出演する映画としてもっとも不似合いなこのストーリーを、確信犯的にカタチにしていったことに最大の賛辞を贈りたい気分。

フィンチャーの演出は、「セヴン」よりも数段磨きがかかっていた。
「トレイン・スポッティング」でも多用された、登場人物の主観で時制があっちこっちに飛ぶ展開。ストーリーの上にレイヤーをいくつも重ねたかのような情報量を詰め込んで、「ついてこれるかい?」って、にやりとしているような構成だった。

ブラピの大ファンである僕。「ファイトクラブ」までは「セヴン」のブラピが一番好きだったから、フィンチャーの料理するブラピがやけに口に合うんだね。あのシャープな肉体がカッコいい。腹筋が締まっていて、胸から腕にかけてのたくましさがセクシーなんだよなぁ。まさに僕の憧れです。ノートン扮するサラリーマンの気持ちが分かる分かる。

で、エドワード・ノートン。この映画で一番株をあげたのは、なんと言っても彼だよね。
自分で自分を殴るあっぱれな演技をはじめ、とにかく全編通して彼がやたらよかった。味があったし、情けなかったし、クールだった。現実離れしてしまうストーリーに、観客の共感を得るパートを1人で担い、十分に役目を果たしていた。
彼の立っている背景だけが次々と変化する印象のある前半から、彼自身が画面を動きまわっている印象のある後半へのシフト。その変化のうまさに、彼の他の出演作への興味が沸々とわいてきた。

最後に、男だらけの物語でただ1人の女性、マーラ(ヘレナ・ボナム・カーター)。
彼女は、「眺めのいい部屋」など時代ものの名作で、ちょっとエキセントリックで印象的なキャラを演じてきた。今回のマーラは、アウトサイダーと女性らしさをミックスさせたエキセントリックなキャラで、短い出演時間の中でキャラの断面をうまく演じていた。
はじめてこの映画を観た時に感じるマーラの印象と、2回目以降に観るマーラの印象は全然違うんだよね。はじめは希薄に感じるマーラという女性の訳わかんなさが、すべてを分かった後で観ると、セリフが納得できるんだよ。

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