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コルセット/ファッション展 1999-09-19

東京都現代美術館で開催されている「身体の夢〜ファッションOR見えないコルセット」展を見てきました。
ひそかに「コルセット展」と呼びながら、身体を拘束する拷問器具的な下着の造形美にイヒヒな期待をしていたのですが、もっと広い意味で肉体と服の関係を解き明かす見応えのある展覧会でした。
パリコレを毎シーズンチェックしているような人にはおススメです。
僕の敬愛する山本耀司や三宅一生の99年春夏コレクションの一部を、実際に目の前で見ることができるんだから!映像や写真で見たことのある服も、実際にホンモノを目にすると、布の質感や空間の中に存在する立体造形の美しさがはっきり見て取れます。

コルセット。ウエストをぎゅっと締め上げ、人工的なラインに肉体を変容させる道具。
貴婦人がショックを受けて意識を失うというお馴染みのシーンは、このコルセットが強いる内蔵圧迫によるものなんだよね。
理想の美を完成させるために、そこまでやることが当たり前だった19世紀。体型補正下着について男がうんぬん言っている現代とはレベルが違っていたようです。
きつくウエストを締め上げることで、本来ある体型を変容させてしまうという行為は、現代でいうところの「モダン・プリミティヴ」というカルチャーに変容して受け継がれているよね。いわゆるボディ・ピアッシングやタトゥーと同様の「意識を肉体から遊離させる」行為なわけだけど、19世紀の貴婦人たちが皆その境地に到っていたかどうかは分かんないや。

時代が移り、身体は服の覆いから解放され、服はより身体を意識したものに変わっていきます。ここから以降は20世紀女性ファッションの変遷。シャネルやサンローラン、ディオールから、ゴルチエ、ウエストウッド、ガリアーノ、三宅一生、川久保玲そして山本耀司とパリコレでお馴染みのデザイナーの作品が並びます。
美術館で作品としてみる服は、着るための服というよりはアートなんですね。
体型の差があるにしても、身体という同形のプラットフォームを使って、いかに新しい美のバリエーションを創造するか?そのアプローチが成功した服を「アート」として展示しているんですね。
機能性や流行というものからも解き放たれた服は、圧倒的な存在感を放っていました。

なかでも山本耀司の創ったドレスには目を奪われました。
ねじって巻き上げた布がが身体のラインに沿って肩紐になっていくドレスの美しいことといったら!この1998年春夏コレクションは、ヨーロピアンな「品」をみせつけてくれた大好きなコレクションなのですが、実際にいろんな角度から見てみると奇跡のような造形バランスなんですよ。
平面的なフェルト素材を身体の前から包んで、背中とヒップの部分で止めた1996年秋冬コレクションのドレスも、アウトラインの美しさに溜息もの…。
かねてから僕が目指すクリエイティブな方向性って、山本耀司の服づくりを目指していると書いてきましたが、畏れ多すぎて今後は控えることにします。

FINAL HOME
展示もされていたFINAL HOMEのコート。着なくなったらショップに返却し、ホームレスたちに譲り渡されます。全身についたファスナー付きポケットに新聞紙を詰めると保温効果バツグン。展示を真似て、おおげさに新聞紙を突っ込んでみました。
アート的アプローチで服を創るといえばこの人、三宅一生。
プリーツ加工のドレスはもちろんですが、1999年春夏コレクションに登場した、1枚の長いニットにハサミを入れて、織り込まれた服や帽子が現われるという「A-POC」の実物がみれたのも感動的でした。三宅一生の服は、たびたび展覧会も行なわれているだけあって、オブジェとしての見せ方もカッコよかった。

パリコレ日本人デザイナーの御三家の残り1人、コム・デ・ギャルソンの川久保玲。
1995年秋冬コレクションに登場した、繭のような膨らみが身体のあちこちについた服は、実物をみてフリークスっぽい印象がさらに強調されちゃいました。ヒップ部分がふくらんでいるドレスは、19世紀にあったバッスルの再現と見てとれますが、肩や腰が膨らんでいるのは…、どうも…、やっぱり…。

会場の最後の方では、ナチュラルな印象を与える綿布を素材にして、さまざまな拘束具を創り出したピエモンテーゼの作品が目をひきました。柔らかな拘束具。そのキケンな香りとカッコよさは、服のもつ基本的な意味そのものなんでしょうね。

とにかくこの展覧会では、発想の自由さが、僕を興奮させました。
年に2回行なわれるコレクションで、常にトップレベルの作品を発表している日本人デザイナーの才能にも改めて敬服しちゃいましたし。彼らはアートだけではなく、ビジネスとしても成功させているんですからね。すごいですよ。
たとえばWEBデザインっていうのも、技術的な面から表現が画一化していっているじゃないですか。もっと固定概念から解き放たれたデザインができてもいいんですよね。
遙か彼方に輝く星を目指す気分を味わいました。



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